Analysis of information sources in references of the Wikipedia article "2ちゃんねる" in Japanese language version.
「どうか言語ウイルスどもの巧妙な罠に気づいてくれ! 奴らの正体は自分たちを使用する全ての人間に寄生して、世代を超えてその身体を拡張し続ける極めて特殊な疑似生命だ。彼らの希薄な身体と支配力は、彼らを使用する人間の数にかかっている。そのため彼らはできるだけ多くの人間に取り憑き支配しようと、自分が取り憑いた民族を刺激して他民族に対して侵略をしかけるのだ。歴史をひもとけば、侵略に成功した側の民族が征服民に自分達の宗教や言語を強いる例はいくらでもある。“神”はことばであり、同時に言語ウイルスなのだ」という言説は、一九七七年の秋以降、俺の頭に二十九日周期でやってくる電波特有のものだが、この種の妄想は記録によれば一九世紀後半のヨーロッパでは道端に転がる糞ぐらいにポピュラーなものであったというから、そもそもキチガイの妄想には所詮大したオリジナリティーなど皆無なのだ。
とどのつまり、バロウズの言語ウイルス論から我々が学ぶべきは、「我々の使用する言語の中には“言語ウイルス”という言葉に象微されるような致命的な欠陥が存在する」ということだ。我々の日常のコミュニケーションの中でも、伝えたいことが何ひとつ相手に伝わらず、つまらない悪意ばかり増幅して伝わってしまうことは良くあることだろう。最も伝えたいことが相手にさっぱり伝わらないもどかしさを感じて言葉につまった経験はないか? それは何も“ボキャブラリーの貧困”ばかりが原因ではない。コミュニケーション・ツールとしての“言語”がもつ不完全性と、そこから生じる“悪意”をつねに意識しながら注意深く言語を使用すること──それこそが、我々意識ある人類が陥った“言語の拘束”から解き放たれるための第一歩なのだ。全ての言語が、発生したその瞬間に、嘘もつける“詐欺の手段”としての機能をも同時に合わせ持った“両刃の刃”であることを忘れてはいけない。