千代田號防護巡洋艦 (Chinese Wikipedia)

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  • 大正13年12月1日(月)海軍公報(部内限)第1215号 p.1. 亞洲歷史資料中心 (日语). 『○令達 官房第三六三一號 舊潜水艦母亭千代田ヲ雑役船ニ編入シ其ノ船種、船名及所属等左ノ通定ム 大正十三年十二月一日 海軍大臣財部彪 |(艦種)練習船|(船名)千代田|(所属)海軍兵學校|(記事)二河川代船』
  • 昭和2年8月3日(水)海軍公報第176号 pp.9-10. 亞洲歷史資料中心 (日语). 『○艦船所在○八月三日午前十時調【航海中】山城、(司令)帆風、羽風、秋風、太刀風(一日母島發―佐伯灣ヘ)』
  • 昭和2年8月5日(金)海軍公報第178号 p.19. 亞洲歷史資料中心 (日语). 『○艦船所在○八月五日午前十時調【佐伯】(長官)長門、陸奥、伊勢、(司令官)鬼怒、阿武隈、由良、(司令官)龍田、(長官)金剛、比叡、(司令官)加古、古鷹、神通、那珂、(司令官)夕張、(司令官)長鯨、鳳翔、扶桑、赤城、山城
    (司令)樅、榧、梨、竹、(司令)栂、柿、楡、(司令)菱、蕨、葦、菫、(司令)蓼、蓮、蓬、(司令)驅二八、驅二九、驅三〇、驅二七、(司令)驅一七、驅一五、驅一三、驅一九、驅二三、驅二五、(司令)梅、楠、櫻、橘、(司令)帆風、羽風、秋風、太刀風
    (司令)呂六四、呂六八、呂六三、(司令)呂六二、呂六〇、呂六一、(司令)呂六七、呂六五、(司令)伊五三、伊五二、伊五一
    鶴見、能登呂、間宮』

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  • #明治の海軍物語コマ171(原本325頁)『(艦名)千代田|(艦質)鋼|(噸數)二,四三九|(速力)一九.〇|(乗員)三〇六|(進水年月日)二三、六、三|(製造所)英國』 中島武, 明治の海軍物語, 三友社, 1938 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-11-18) 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ73『大正十一年四月一日(内令一一〇)特務艇類別等級別表中左ノ通改正ス 掃海艇二等ノ欄内「叢雲」「夕霧」ヲ削リ「薄雲、」「不知火、」「朝潮、」「白雲、」「村雨、」「朝霧」ヲ加ヘ潜水艦母艇ノ欄内「椅子山」ヲ削リ「千代田、」「見島」ヲ加フ』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #幕末以降帝国軍艦写真と史実第17コマ(原本11頁)『千代田形(ちよだがた) 艦種砲艦 二檣「スクーナー」型 艦名考千代は徳川幕府の治所江戸城(現今の宮城)の別稱なり、艦名の下に「形」の字を付したるは其形式(タイプ)を意味するものならん、幕府時代の船舶中、伊豆下田に於て建造せるものに君澤形、長崎に於て建造せるものに長崎形の名のあるを見る、蓋し同指なり。
    艦歴本艦は外國人の手を假らず本邦人に依て設計建造せられたる最初の蒸汽船なり、文久2年戌年5月起工、同3亥年7月進水、慶應2寅年5月竣工即ち進水より竣工まで約3ヶ年を費したるは、其間機關計畫者和蘭國へ出張の事あり、歸朝後、機關据付を爲したる等、工程に遅延を生ぜしことありしに由る。明治2年5月函館の役に於て官軍に収容せられ爾來帝國軍艦籍に在りて種々の役務に服せしが、明治21年1月除籍せられ、船體は之を千葉縣に交付せり。(要目略)』 海軍有終会編 (编). 幕末以降帝国軍艦写真と史実. 海軍有終会. 1935 [2017-06-12]. (原始内容存档于2019-01-07). 
  • #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ37(原本46頁)『千代田(ちよだ) 艦種巡洋艦 三檣(戰闘檣あり) 艦名考前掲「千代田形」の項(p.11)参照。艦歴亡失艦畝傍代艦として建造せられたる艦にして明治14年4月11日本邦に到着。明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同9月黄海々戰に、同11月大連港及び旅順口占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同地占領に從事、同3月澎湖島攻略及同島占領に從事、同31年3月三等巡洋艦に列す。同37・8年戰役に從軍(第六戰隊):同37年2月9日仁川沖海戰に参加(艦長大佐村上格一)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐依仁親王殿下)、大正元年8月2等海防艦に編入。同3年乃至9年戰役に從軍:大正3年8月青島戰参加(艦長中佐島内桓太)、同8年12月第三艦隊に属し南支那海方面警備、同10年水雷母艦に編入、同11年4月1日軍艦より除籍、特務艦となり、昭和2年2月28日特務艦籍より除かる。
    ―要目― 長308呎/幅43呎/吃水17呎/排水量2,450噸/機關 三聯成汽機2基雙螺旋ベルビル罐12/馬力5,400/速力19/乗組人員350/船材 鋼/兵装 12拇安式速射砲 10/47粍砲 14/備砲 3/發射管 3/起工 明治21-12-4/進水 同23-6-4/竣工 同24-1-1/建造所 英國グラスゴートムソン會社』 海軍有終会編 (编). 幕末以降帝国軍艦写真と史実. 海軍有終会. 1935 [2017-06-12]. (原始内容存档于2019-01-07). 
  • 明治17年6月5日官報第179号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1『○海軍省丙第九拾號 海軍一般 今般佛國ヘ新造注文セシ軍艦ヲウネト命名ス此旨爲心得相達候事 海軍卿 川村純義|○海軍省丙第九拾壱號 海軍一般今般横須賀造船所ニ於テ製造スヘキ一等砲艦ヲアタ 巡洋鉄艦ヲタカト命名ス此旨爲心得相達候事 海軍卿 川村純義
    ○海軍省丙第九拾貳號 海軍一般 東海鎮守府所轄千代田形艦自今豫備艦ト相定ム此旨相達候事 明治十七年六月五日 海軍卿 川村純義』
  • 明治21年1月28日官報第1372号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2『○海軍省告示第一號 東、雷電、千代田形ノ三艦艦籍ヨリ除名セラル 明治二十一年一月二十八日 海軍大臣伯爵西郷從道』
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ22『明治二十年 畝傍ノ保險金一,二四五,三〇九圓ノ収入ニヨリ其ノ代艦トシテ千代田ノ製造ニ着手シタル外、八重山及水雷艇小鷹ヲ起工シ葛城及大和ヲ竣工ス』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ197『◎巡洋艦千代田及風帆練習艦館山命名ノ件 明治二十一年九月二十七日(達九九)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ49『◎軍艦種別の件 明治二十三年八月二十三日(達三〇四)横須賀鎮守府所管軍艦浪速、扶桑、高雄、武藏、八重山、橋立、筑波、愛宕、天城ヲ第一種ト定メラレ水雷艇小鷹、第一水雷艇、第二水雷艇、第三水雷艇、第四水雷艇ヲ第二種ト定メラレ軍艦龍驤、迅鯨、淺間、干珠ヲ第三種ト定メラレ呉鎮守府所管軍艦金剛、比叡、大和、筑紫、摩耶、赤城、嚴島、千代田、天龍、鳳翔ヲ第一種ト定メラレ軍艦館山、石川ヲ第三種ト定メラレ佐世保鎮守府所管軍艦高千穂、葛城、磐城、松島、千鳥、大島、秋津洲、日進、海門、鳥海ヲ第一種ト定メラレ軍艦春日、満珠ヲ第三種ト定メラル』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • 明治24年4月13日官報第2332号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『○軍艦發箸 呉鎮守府練習艦館山及同府軍艦赤城ハ一昨十日呉港ニ投錨、佐世保鎮守府軍艦磐城ハ同日佐世保港ニ投錨、呉鎮守府軍艦千代田ハ一昨十一日午前五時三十分安全ニ横須賀港ニ到着セリ(海軍省)』
  • #日清戦史1参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第1巻,p. 121 参謀本部 (编). 第1巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2022-04-07). 
  • #日清戦史1参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第1巻,p. 123 参謀本部 (编). 第1巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2022-04-07). 
  • #日清戦史1参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第1巻,p. 124 参謀本部 (编). 第1巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2022-04-07). 
  • 参謀本部,#明治の海軍物語原本120-121頁 中島武, 明治の海軍物語, 三友社, 1938 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-11-18) 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,pp. 236-237 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 241 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 243 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 244 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 247 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 248 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,pp. 252-255 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史3明治二十七八年日清戦史. 第3巻,p. 205 参謀本部 (编). 第3巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-21). 
  • #日清戦史3参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第3巻,p. 213 参謀本部 (编). 第3巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-21). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 39 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 40 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 239 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 243
    (按,根据本书p.267,3月26日伊东发布澎湖列岛行政厅开厅布告,澎湖战役已经结束。千代田实际上并未参加澎湖战役,《#幕末以降帝国軍艦写真と史実》简介有误。) 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18).  海軍有終会編 (编). 幕末以降帝国軍艦写真と史実. 海軍有終会. 1935 [2017-06-12]. (原始内容存档于2019-01-07). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 301 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #愛弟通信コマ139(原本269頁)『分捕艦の回航(三月六日於廣島)▽二十六日午前十時威海衛を抜錨、橋立は濟遠、平遠を率ひ、千代田は廣丙を率ひ、共に回航の途に上りたり。』 国木田独歩, 愛弟通信, 左久良書房, 1908 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-02-28) 
  • #愛弟通信コマ142-144(原本275-278頁)『敵艦廣丙號捕獲詳報告(三月九日 於廣島)』 国木田独歩, 愛弟通信, 左久良書房, 1908 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-02-28) 
  • #明治の海軍物語原本192頁 中島武, 明治の海軍物語, 三友社, 1938 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-11-18) 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ50『◎軍艦及水雷艇類別等級 明治三十一年三月二十一日(達三五)軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム(別紙)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #饒津神社三百年祭典記録,林保登(静処),《軍艦千代田の拝観》 林保登(静処) (编). 軍艦千代田の拝観. 饒津神社三百年祭典記録. 饒津神社社務所. 1910 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-02-28). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ59『大正十四年四月十四日(達七五)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ59『大正十一年四月一日(達四八)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • 昭和2年8月8日官報第183号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3『◎御出港 天皇陛下ハ本月五日午前十時佐伯灣御出港豊後水道沖ニ於テ聯合艦隊ノ爆撃實驗御覽午後五時三十分豊後水道沖御發アラセラレタリ』

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  • #明治の海軍物語コマ171(原本325頁)『(艦名)千代田|(艦質)鋼|(噸數)二,四三九|(速力)一九.〇|(乗員)三〇六|(進水年月日)二三、六、三|(製造所)英國』 中島武, 明治の海軍物語, 三友社, 1938 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-11-18) 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ73『大正十一年四月一日(内令一一〇)特務艇類別等級別表中左ノ通改正ス 掃海艇二等ノ欄内「叢雲」「夕霧」ヲ削リ「薄雲、」「不知火、」「朝潮、」「白雲、」「村雨、」「朝霧」ヲ加ヘ潜水艦母艇ノ欄内「椅子山」ヲ削リ「千代田、」「見島」ヲ加フ』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #幕末以降帝国軍艦写真と史実第17コマ(原本11頁)『千代田形(ちよだがた) 艦種砲艦 二檣「スクーナー」型 艦名考千代は徳川幕府の治所江戸城(現今の宮城)の別稱なり、艦名の下に「形」の字を付したるは其形式(タイプ)を意味するものならん、幕府時代の船舶中、伊豆下田に於て建造せるものに君澤形、長崎に於て建造せるものに長崎形の名のあるを見る、蓋し同指なり。
    艦歴本艦は外國人の手を假らず本邦人に依て設計建造せられたる最初の蒸汽船なり、文久2年戌年5月起工、同3亥年7月進水、慶應2寅年5月竣工即ち進水より竣工まで約3ヶ年を費したるは、其間機關計畫者和蘭國へ出張の事あり、歸朝後、機關据付を爲したる等、工程に遅延を生ぜしことありしに由る。明治2年5月函館の役に於て官軍に収容せられ爾來帝國軍艦籍に在りて種々の役務に服せしが、明治21年1月除籍せられ、船體は之を千葉縣に交付せり。(要目略)』 海軍有終会編 (编). 幕末以降帝国軍艦写真と史実. 海軍有終会. 1935 [2017-06-12]. (原始内容存档于2019-01-07). 
  • #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ37(原本46頁)『千代田(ちよだ) 艦種巡洋艦 三檣(戰闘檣あり) 艦名考前掲「千代田形」の項(p.11)参照。艦歴亡失艦畝傍代艦として建造せられたる艦にして明治14年4月11日本邦に到着。明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同9月黄海々戰に、同11月大連港及び旅順口占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同地占領に從事、同3月澎湖島攻略及同島占領に從事、同31年3月三等巡洋艦に列す。同37・8年戰役に從軍(第六戰隊):同37年2月9日仁川沖海戰に参加(艦長大佐村上格一)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐依仁親王殿下)、大正元年8月2等海防艦に編入。同3年乃至9年戰役に從軍:大正3年8月青島戰参加(艦長中佐島内桓太)、同8年12月第三艦隊に属し南支那海方面警備、同10年水雷母艦に編入、同11年4月1日軍艦より除籍、特務艦となり、昭和2年2月28日特務艦籍より除かる。
    ―要目― 長308呎/幅43呎/吃水17呎/排水量2,450噸/機關 三聯成汽機2基雙螺旋ベルビル罐12/馬力5,400/速力19/乗組人員350/船材 鋼/兵装 12拇安式速射砲 10/47粍砲 14/備砲 3/發射管 3/起工 明治21-12-4/進水 同23-6-4/竣工 同24-1-1/建造所 英國グラスゴートムソン會社』 海軍有終会編 (编). 幕末以降帝国軍艦写真と史実. 海軍有終会. 1935 [2017-06-12]. (原始内容存档于2019-01-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ22『明治二十年 畝傍ノ保險金一,二四五,三〇九圓ノ収入ニヨリ其ノ代艦トシテ千代田ノ製造ニ着手シタル外、八重山及水雷艇小鷹ヲ起工シ葛城及大和ヲ竣工ス』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ197『◎巡洋艦千代田及風帆練習艦館山命名ノ件 明治二十一年九月二十七日(達九九)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ49『◎軍艦種別の件 明治二十三年八月二十三日(達三〇四)横須賀鎮守府所管軍艦浪速、扶桑、高雄、武藏、八重山、橋立、筑波、愛宕、天城ヲ第一種ト定メラレ水雷艇小鷹、第一水雷艇、第二水雷艇、第三水雷艇、第四水雷艇ヲ第二種ト定メラレ軍艦龍驤、迅鯨、淺間、干珠ヲ第三種ト定メラレ呉鎮守府所管軍艦金剛、比叡、大和、筑紫、摩耶、赤城、嚴島、千代田、天龍、鳳翔ヲ第一種ト定メラレ軍艦館山、石川ヲ第三種ト定メラレ佐世保鎮守府所管軍艦高千穂、葛城、磐城、松島、千鳥、大島、秋津洲、日進、海門、鳥海ヲ第一種ト定メラレ軍艦春日、満珠ヲ第三種ト定メラル』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #日清戦史1参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第1巻,p. 121 参謀本部 (编). 第1巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2022-04-07). 
  • #日清戦史1参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第1巻,p. 123 参謀本部 (编). 第1巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2022-04-07). 
  • #日清戦史1参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第1巻,p. 124 参謀本部 (编). 第1巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2022-04-07). 
  • 参謀本部,#明治の海軍物語原本120-121頁 中島武, 明治の海軍物語, 三友社, 1938 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-11-18) 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,pp. 236-237 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 241 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 243 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 244 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 247 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,p. 248 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史2参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第2巻,pp. 252-255 参謀本部 (编). 第2巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1900 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-17). 
  • #日清戦史3明治二十七八年日清戦史. 第3巻,p. 205 参謀本部 (编). 第3巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-21). 
  • #日清戦史3参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第3巻,p. 213 参謀本部 (编). 第3巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-21). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 39 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 40 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 239 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 243
    (按,根据本书p.267,3月26日伊东发布澎湖列岛行政厅开厅布告,澎湖战役已经结束。千代田实际上并未参加澎湖战役,《#幕末以降帝国軍艦写真と史実》简介有误。) 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18).  海軍有終会編 (编). 幕末以降帝国軍艦写真と史実. 海軍有終会. 1935 [2017-06-12]. (原始内容存档于2019-01-07). 
  • #日清戦史6参謀本部,明治二十七八年日清戦史. 第6巻,p. 301 参謀本部 (编). 第6巻. 明治二十七八年日清戦史. 三友社. 1904 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-11-18). 
  • #愛弟通信コマ139(原本269頁)『分捕艦の回航(三月六日於廣島)▽二十六日午前十時威海衛を抜錨、橋立は濟遠、平遠を率ひ、千代田は廣丙を率ひ、共に回航の途に上りたり。』 国木田独歩, 愛弟通信, 左久良書房, 1908 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-02-28) 
  • #愛弟通信コマ142-144(原本275-278頁)『敵艦廣丙號捕獲詳報告(三月九日 於廣島)』 国木田独歩, 愛弟通信, 左久良書房, 1908 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-02-28) 
  • #明治の海軍物語原本192頁 中島武, 明治の海軍物語, 三友社, 1938 [2022-08-18], (原始内容存档于2020-11-18) 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ50『◎軍艦及水雷艇類別等級 明治三十一年三月二十一日(達三五)軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム(別紙)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #饒津神社三百年祭典記録,林保登(静処),《軍艦千代田の拝観》 林保登(静処) (编). 軍艦千代田の拝観. 饒津神社三百年祭典記録. 饒津神社社務所. 1910 [2022-08-18]. (原始内容存档于2020-02-28). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ59『大正十四年四月十四日(達七五)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07). 
  • #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ59『大正十一年四月一日(達四八)』 海軍大臣官房. 海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷). 海軍大臣官房. 1940 [2017-06-12]. (原始内容存档于2021-05-07).