ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル (Japanese Wikipedia)

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  • イマームとは預言者ムハンマドの後継者としてイスラーム共同体(ウンマ)を導く宗教上の指導者を指す[3]。イスラーム時代初期の複数の内戦を経て主流となったスンナ派はムハンマドの後継者としてカリフを信奉したが、指導者の地位に関しては必要最小限の条件しか求めなかった[4][5]。一方でシーア派は、イマームが唯一の神によって与えられた他に有する者のいない属性を持つ神の生ける証拠(フッジャ英語版)であり、神によって導かれるムハンマドの後継者であるとするイマームの概念を徐々に発展させていった。また、シーア派にとってイマームの地位は最初のイマームとされるムハンマドの娘婿のアリー・ブン・アビー・ターリブを含むムハンマドの子孫英語版のみに受け継がれるものであった[6][7]。そのシーア派は765年のジャアファル・アッ=サーディクの死後に十二イマーム派の系統とイスマーイール派の系統に分裂した。十二イマーム派はムーサー・アル=カーズィムを7代目のイマームとして信奉したが、874年に幽隠(ガイバ)に入った12代目のイマームであるムハンマド・アル=マフディーを最後にイマームの系譜が途絶えたとされ、この最後のイマームはメシアとしての復活が待望されている[8][9]。一方のイスマーイール派はムーサー・アル=カーズィムの兄であるイスマーイール・ブン・ジャアファルの系統を信奉し、ファーティマ朝のイマーム(カリフでもある)を含む公のイマームと隠れイマームの双方における一連のイマーム位の継承を通じて今日に至っている[10]
  • 後継者の指名に関する概念(ナッス英語版)は初期のシーア派、特にイスマーイール派のイマームにおける中心的な概念であるが、この概念は現実には複雑な問題も引き起こした。シーア派のイマームは神の無謬性(イスマ英語版)を有するとされていたことから、特に後継者の選定のような重要な問題について過ちを犯すことはないであろうと考えられていた。このような背景においては、指名された後継者が父親よりも先に死去した場合に非常に大きな困惑をもたらすことから、父親の治世中にある世継ぎが明らかに有利な立場にあったとしても、しばしばナッスは統治者であるイマームの死の直前まで保留されたり、イマームの遺言において公表されたり、第三者による同意の下で遺産として残されたりする場合があった[22]