元老院 (ローマ) (Japanese Wikipedia)

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  • 10世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス7世が著した『儀式の書』の序文でも「古の慣習は帝国の輝きを比類ないものへと磨き上げるために朕が牧場から集める花のようなものである。それはまた曇りひとつないまでに磨き上げられた光り輝く鏡のようなものであろう。朕はこの鏡を宮殿の中央に置き、皇帝権力にふさわしいもの、元老院制度にふさわしいものを写し出すものとするであろう。」(劇場国家ビザンツ 井上浩一 Archive.isに保存されているアーカイブ 元は大阪市立大学インターネット講座掲載)と書かれており、コンスタンティノポリス元老院の実体が消滅して久しい10世紀になっても東ローマ帝国の制度の根幹に元老院があるという認識は存続していた。また、さらに時代が下った12世紀にコムネノス朝の皇女アンナ・コムネナが父アレクシオス1世コムネノスについて著した歴史書『アレクシアス(アレクシオス1世伝)』でも「元老院」(: σύγκλητος)という用語は使われており、例えば同書の第1巻9章5節では「(父アレクシオス)は皇帝からセヴァストスの爵位を受け取り、元老院の満座の中でセヴァストスと呼ばれたのである」と書かれている(アンナ・コムニニ(コムネナ)、相野洋三訳『アレクシアス』悠書館 2019年)P31。

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  • レオーン6世は同時期に古代ローマの市民(デーモス)の存在を否定する勅令も出した[101]。その後にデーモスという語はレオーン6世が編纂させた官職表『クレートロロギオン英語版』によって官職名として再定義された[101]