テレーザはその美貌で名高く、ウィーンで舞台に立っていた時には、音楽と芸術の保護者として知られた貴族エステルハージ・パール・アンタル(en:Paul II Anton Esterházy)の愛人となり、時の女帝マリア・テレジアの不興を買って追放された。1751年にパリ・オペラ座で舞台デビューしたが、弟のガエタノと当時のパリ・オペラ座首席振付家ジャン=バルテルミー・ラニが起こした諍いの原因となったため、一時的に舞台を去った。1755年にオペラ座へ復帰を果たし、その後は1766年までソリストとして出演した。