東インド社会民主主義同盟(ISDV) の党名はオランダ語表記(Indische Sociaal-Democratische Vereniging) である。東インドに共産主義運動を持ち込んだヘンドリクス・ヨセフ・フランシス・スネーフリートであったが、1917年から1920年にかけて、植民地政府はスネーフリートをはじめとするオランダ人共産主義者を次々と国外退去処分にしたため、以後の東インドにおける共産主義運動は、スネーフリートの下に学んだ「原住民」党員(スマウン、ダルソノ、アリミンなど)によって担われていくことになる。1920年5月の第7回党大会で名称を東インド共産主義同盟(Perserikatan Kommunist di India, インドネシア語表記)に改めると、この党大会での議決により、議長にスマウン、副議長にダルソノが就任した。さらに党名がインドネシア共産党 (Partai Komunis Indonesia, 略称PKI) に変更されるのはその4年後である。