チャンの母方の祖父は、日中戦争当時、南京に首都を置いていた中華民国の政府職員で、チャンの祖父母は南京が陥落する数週間前に脱出した。このとき、チャンの両親は生まれる前であった。チャンの両親は「南京大虐殺」を目撃したわけではないが子供の頃から話を聞かされており、それをチャンにも語り伝えた。チャンが両親から語り継いだ話とは、「3つにも4つにも切り刻まれた赤ん坊」の話、「揚子江が血で何日も赤く染まった」という話である。また、チャンの両親は「南京大虐殺は、1000万以上の中国人を殺害した戦時中の日本人が犯した、単独の事件としてはもっとも残忍な事件である」とも語った(『The Rape of Nanking』p.8、同時代社『ザ・レイプ・オブ・南京』 p.14)。両親の話についてチャンは、「ほとんど神話のようで、どれほど酷いものか思い浮かべることができなかった」と感想を述べている(“Nightmare in Nanking By Sue De Pasquale”. Johns Hopkins Magazine. 2008年6月26日閲覧。)。
国際政治学者の浜田和幸は、「チャンの執筆を支援し、旅費負担や資料提供をした団体(太平洋文化財団など)は、中国と繋がる米国の反日団体や諜報機関、中国の政府と裏で繋がっている団体であり、チャンの一連の動きは中国の世界戦略策の構図の中の一つのものであるため、日本政府は一刻も早く目を覚まして対抗措置を講ずるべきだ」と指摘している(文藝春秋 1998年9月特別号 『「ザ・レイプ・オブ・南京」中国の陰謀を見た』)。なお『ザ・レイプ・オブ・南京』の謝辞で、アジアへの取材旅行(中国と台湾)の旅費を台湾の財団法人「太平洋文化基金会」が負担してくれたことにチャン自身の言葉で感謝の言を述べているが、イリノイ大学でチャンとともにジャーナリズムを学んだ友人のポーラ・ケイメンは、彼女への弔辞の中で、彼女が『ザ・レイプ・オブ・南京』に取り組んでいたときの姿を「自費で中国各地を訪れ、秘密扱いの文書を公開するようアメリカ政府に挑戦した」と述べている(Paula Kamen,"How 'Iris Chang' became a verb: A eulogy"], Salon.com, November 30,2004"http://www.salon.com/mwt/feature/2004/11/30/iris_chang/index.html" 翻訳版は『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』に収録)