シヴァ派 (Japanese Wikipedia)

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  • 高島淳によると、パーシュパタ派は8世紀にはカシミールに入り、パーシュパタ派から、アーガマ英語版と呼ばれる聖典に基づくシヴァ派であるアーガマ的シヴァ派が分派したと推定される[12]。アーガマ的シヴァ派から、神と個我とを、独立した別の存在であるとするか、根本的に同一であるとするかの解釈の違いによって、聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派の二つの派が分かれて行った[2]。アーガマ的シヴァ派のうち、二元論的なものを聖典シヴァ派、不二一元論的なものをカシミール・シヴァ派と呼ぶのが通例となっている[12]。両派が分離する前のアーガマ的シヴァ派についてはほとんどわかっていない[12]。カシミール・シヴァ派の伝承では、シヴァ神は不二論、二元論、不一不二論の3種の教えを伝えたとされる[33]。アーガマ的シヴァ派では、世界を構成する基本的な要素として、主(パティ、シヴァ神)・家畜(パシュ、個我)・索縄(パーシャ、個我を束縛するもの)の三つの原理をたてる[2][20]。シヴァ神は全知全能の永遠の精神的存在、個我は本来シヴァと等しい能力を持つ精神的存在であるが、索縄のためにその能力は覆われている[2]。索縄の根本的なものは「個我の汚れ」(アーナヴァ・マラ)と呼ばれる微細な物質的存在で、主はこうした個我の哀れな状態を見て、物質から成る個我の汚れを落すために物質から成る世界を創造する[2]。世界創造の原物質・根本的質量因であるマーヤーも物質的存在であり索縄の一つとされる[2][20](カルマ)も索縄のひとつだが、個我を世界に縛り付けるというインド思想一般で理解される働きと共に、個我の汚れを落すために必要な(洗濯のような)行為ともみなされており、個我は世界の中に繰り返し誕生し行為(カルマ)をなすことで個我の汚れの吸着力を減らしていき、個我の汚れの力が弱まった時点で、人間の師の姿をとったシヴァ神がディークシャー英語版灌頂[34])とよばれる儀礼を行い、個我の汚れを切り離す[2]。これにより個我は、その人生の死の際に完全に索縄から解放され、シヴァ神と等しい能力を取り戻し、解脱に達するとされる[2]。インドの宗教の研究者高島淳は、「不可解な苦しみの生存としてしか理解されていなかった世界の存在を、神の人間に対する恩恵の手段として捉え直したところに、この新しいシヴァ教の根本的な特徴がある。」と述べている[2]。高島は、アーガマ的シヴァ派は、南インドでは聖典シヴァ派として大寺院の儀礼を司り、北インドではタントラ的シヴァ派あるいはシャクータ派として、寺院儀礼、個人儀礼の中心的役割を果たしたとしている[12]