Delve 2007, p. 98. ジャカールのこの当時の職業が何だったかについては、若干問題がある。1780年ごろ、絹の機織りは絹商人に雇われているのが普通で、ジャカールは当時のリヨンの記録には絹商人として記録されていない(Delve 2007, p. 99)。
ジャカールの初期の職歴には若干混乱がある。イギリスの経済学者 John Bowring はジャカールに会ったことがあり、その時ジャカールは以前麦藁帽子を作っていたと述べたという(Barlow 1878, p. 144)。Eymard は、ジャカールが絹の機織りに関わる前に活字の鋳造、兵士、麦藁帽子の漂白、生石灰製造(石灰窯)などの職業を転々としたと主張している(Eymard 1863, p. 9)。ただしEymardはその出典を明らかにしていない。Barlowは結婚前のジャカールの職業として、製本、活字鋳造、刃物製造を上げている。結婚後も機織り以外に刃物製造と活字鋳造をしたことがあるとしている(Barlow 1878, p. 140)。ただし、Barlowも出典を明らかにしていない。Ballotは、ジャカールは当初父の機織りの仕事を手伝っていたが、それがあまりにも大変だったため、製本業に移り、その後活字の鋳造を手がけるようになったとしている(Ballot 1913, p. 39)。