「このザモリンはカブラルに依頼をした。ちょうどコーチンより来て当地を通過中の商船があり、7頭のゾウを乗せているというのである。友誼の証として、カブラルは部下たちに対し、この船を拿捕してザモリンが求めるゾウを入手するよう命じた。カブラルとしてはコーチンの王に攻撃される事態は避けたいと考えていたものの、ザモリンに対し下手な真似も出来なかったのである。彼は貴族2名に兵60名とナウ船1隻を預け、コーチン商人の船からゾウを奪うよう指示した。ペドロ・デ・アタイデ(英語版)指揮するこのポルトガル船には300名の甲板員が乗っており、件の商船とは比較にならない強さだと思われた。アタイデはカンヌール近海でこのインド商船に接近した。商船側は弓矢と砲とでポルトガル船を攻撃し始め、ポルトガル側も直ちに火器をもって応戦した。アタイデは商船を拿捕すると、ザモリンの要望通りに積荷のゾウを移送した。この一件でポルトガル勢力の武名が広まった。(中略)一方で、アタイデはカンヌール近海にいたムスリム勢力の船4隻といくつかのparausの破壊を指揮していた。またそれとは別に、5隻の船がアタイデによって敗走させられている。ポルトガル艦隊の武名は日増しに高まっていき、ザモリンはポルトガル勢力がカリカット王国を滅ぼすのではないかという恐怖心を持つようになっていった。(中略)その結果、ザモリンはムスリム勢力に対してカリカットのポルトガル商館襲撃の許可を与え、アイレス・コレア他5人のポルトガル人が殺された。」—K. K. N. Kurup、Kurup 1997, p. 10より。