1831年ヘンリー・ヘザリントン(英語版)とウィリアム・ラヴェット(英語版)は「労働者階級全国同盟」(英: National Union of the Working Classes) を結成、機関誌として『プア・マンズ・ガーディアン』(英語版)を発行した。かれらはフランスの『人権宣言』とトマス・ペインの思想を前文に掲げて綱領を発表した。まず、利潤や地代による収奪を批判して、労働全収権を提唱して労働者が労働生産物の全価値を享受する権利を訴えた。これと同時に雇用主の搾取に抵抗するための団結権やストライキ権の保証を求めていた。そして、その手段を議会改革の推進に求めた他、社会経済的な変革を要求して労働者階級の窮状を打破しようとした[112]。1836年の恐慌時、ヘザリントンとラヴェットをはじめロンドンの指導者は集会を開き、ロンドン労働者協会(英語版)を設立した[113]。執行部は声明を出して「イギリスには21歳以上の男子が602万いるうち、84万人にしか選挙権が与えられていない」ことを指摘、「将来の奴隷制」(苦汗制度・現代的にはワーキング・プア)の根っこに存在していた腐敗した議会による支配構造を合法的に断ち切って平等な社会を実現させることを目標に、志ある人々の結集を呼びかけた。1838年、1)成人男子選挙権、2)秘密投票、3)毎年選ばれる一年任期の議会、4)議員に対する財産資格の廃止、5)議員への歳費支給、6)十年ごとの国勢調査により調整される平等選挙区の六項目を掲げた『人民憲章』が発表された[114][115]