べタな娯楽モノしか作らない邦画界の横っ面を張り飛ばしてやりたいとボクの血も騒いでいた。「海賊でもやって一旗揚げて、…どうせおまえもわしも一遍も二遍も死に損ねた身体じゃ」という原作の一節はボクの気分を代弁していた。 https://www.creators-station.jp/column/137791 コラム 井筒和幸の Get It Up ! Vol.40 「京都の大映撮影所は今、その跡影もない。『新・悪名』で台詞を喋りながらカレーライスを10カットの間に完食してしまう勝新太郎や、相棒の田宮二郎の名コンビを生み、『眠り狂四郎』の市川雷蔵を生み、女優・若尾文子を生み、撮影中の溝口健二巨匠が助監督に尿瓶を持ってこさせた東洋一のスタジオも、遠い昔の幻だ。」
コラム
井筒和幸の Get It Up ! Vol.47 https://www.creators-station.jp/column/154657 快楽ホルモンなどが脳に分泌されて、苦を忘れられるユーモアたっぷりの映画を探し歩いたのもその頃だ。 「着流しの八尾の朝吉・勝新太郎、その弟分でスカジャンが似合う清次・田宮二郎より、ボクは朝吉の兄役・金田龍之介さんや、大阪のやくざの組長・西村晃さん、芦屋小雁や鳳啓介、京唄子の夫婦漫才コンビの出演が嬉しくてたまらなかった。全員に笑った。笑わせているのは依田義賢の脚本だった。」「森光子や茶川一郎や、ベテラン浪花千栄子、ミヤコ蝶々、名悪役の遠藤太津朗(旧・辰雄)や南道郎、関西喜劇人を脇役に配した絶妙なキャスティングで、ボクは20歳の頃にもう一度、田宮二郎が大映を去ってコンビの清次が消えるまでの14作を劇場とテレビ放映ですべて見直し、一から映画的な台詞の間と、その笑いを学んだ。何より大事なことで愉しいことだった。」