仏印進駐 (Japanese Wikipedia)

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jacar.go.jp

jogmec.go.jp

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  • 岩間敏「戦争と石油(3) ー『日蘭会商』から石油禁輸へー」独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構,2010年3月19日,NAID 40017030605,2022年3月19日閲覧

mod.go.jp

nids.mod.go.jp

  • "五月一日陸軍省軍務課長佐藤賢了大佐は石井中佐に対し、「南部佛印陸軍配置ノ件」の立案を命じた ... それは南部佛印における陸軍兵力の駐屯を意味するものであった。" p.110 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "「対南方施策要綱」のすみやかな廟議決定 ... すなわち自存自衛の場合のほかはシンガポール攻略はやらぬ旨の国家意志を廟議決定しようというのである。" p.113 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • 戦後陳述/昭和35年 "元来「対南方施策要綱」は、大野少将によれば「陸軍からせっつかれたから出したものである」(64)ということで、海軍にとってはなくもがなのものであったようである。 ... (64) 昭和三十五年三月十六日陳述" p.114 & p.209 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "対仏印施策に関する陸海軍主任者案が概定した。それは「南方施策促進ニ関スル件」と呼ばれ" p.117より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "陸海軍統帥部が米英は武力をもって反発して来ることはないと判断したことは、前記前田、田中両中将の陳述によっても明らかである。" p.127 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "六月十一日の業務日誌 ... に次のような趣旨がしるされている ... 米英の反対策謀は考慮しなければならぬが、米英が真面目なる武力行使によって、日本軍の南部佛印進駐を阻止するものとは思われない。" pp.125-126 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "廟議において禁輸の有無に対し特別関心が払われたという形跡は認められぬのであった。" p.127より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "陸軍関係者の大部は、全面禁輸はあり得ないと見たか、またはそれについての十分な検討を怠っていたわけであった。" p.127 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "西浦大佐は「参謀本部作戦課の岡村誠之少佐がこんなことになるなら進駐せぬがよかったというのを聞いて心外であった」(86) ... (86) 昭和三十七年十一月陳述" p.127 & p.211 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "もっとも西浦大佐は「全面禁輸を受けても別に驚きはしなかった。...」(86) ... (86) 昭和三十七年十一月陳述" p.127 & p.211 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "海軍部内も大勢は全面禁輸を予期していなかったようである。" p.128 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • 岡中将によれば「米英の態度はシリアスになるとは考えたが、禁輸をやるとは思わなかった。もっとも禁輸を受けても驚きはしなかった。交渉により打開ができると考えたからである」(87) ... (87) 昭和三十五年三月陳述" p.128 & p.211 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "大野少将も「平和進駐ならば直ちに全面禁輸を受けるとは判断しなかった」(88) ... (88) 昭和三十五年三月十六日陳述" p.128 & p.211 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.
  • "前田稔中将は次のように述べている(77) ... しかし禁油ぐらいはやるかも知れぬと考えた。... (77) 昭和三十七年六月十九日陳述" pp.122-123 & p.210 より引用。防衛庁防衛研修所戦史室著. (1974). 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4. 朝雲新聞社.

ndl.go.jp

  • "日米国交調整の見地よりすれば、蘭印なればとも角、仏印なれば大して故障なかるべしとの見透しが、陸海軍共一致したる見解にて、此見透しが誤り居り、今回の如き結果となりし事、遺憾至極に存居候。" . 国立国会図書館デジタルコレクション. 近衛文麿書翰 有田八郎宛. 2024-04-16閲覧.

nii.ac.jp

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  • 岩間敏「戦争と石油(3) ー『日蘭会商』から石油禁輸へー」独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構,2010年3月19日,NAID 40017030605,2022年3月19日閲覧