内ゲバ (Japanese Wikipedia)

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  • 警備警察50年
  • 「36年(1961年)に始まった極左暴力集団による内ゲバの形態は、47年(1972年)ころまでは、全学連大会や学園紛争、大衆運動の中でのトラブルや主導権争いのため発生した集団遭遇戦が大半を占めていたが、48年(1973年)からは、被害者の再起不能や殺害をねらった個人「テロ」の様相を深めた。」(警察庁 1988) 警察庁『昭和63年 警察白書』(レポート)、1988年。
  • 昭和50年 警察白書 第7章 公安の維持 3 暴走を続ける極左暴力集団
  • 昭和48年 警察白書 第7章 公安の維持 表7-9 内ゲバ発生状況(昭和43~47年)
  • テロ・ゲリラを展開し暴力革命を目指す過激派『焦点269号、警備警察50年』警察庁平成16年
  • 「反帝学評約50人が「9.15ミッドウェー母港化反対闘争」に向けて前日から拠点校の神奈川大学に泊まり込んでいたところ、9月15日午前1時45分ごろ、革マル派約150人がヘルメット、覆面、鉄パイプの武闘スタイルでこれを襲撃し、相互に多くの負傷者が出た。この間にあって、反帝学評約20人、レンタカーを使って反帝学評の動向を視察していた革マル派2人を襲い、鉄パイプで殴る、突く、ける等の暴行を加えて両名を殺害し、現場から5キロメートル離れた浄水場裏に死体を遺棄した。」(警察庁 1974) 警察庁『昭和49年 警察白書』(レポート)、1974年。
  • 「9月17日午前7時30分ごろ、都下国電鶯谷駅構内に中核派約150人が集合していたところ、突然鉄パイプで武装した革マル派約80人がこれに襲いかかった。このため、駅構内及び線路上で乱闘となり、山手線、京浜東北線の一部が数分間電車の運行を中止した。この間、双方合わせて7人が負傷し、救急車で付近の病院へ収容されたほか、ホームにいた乗客が巻き添えになった。」(警察庁 1974) 警察庁『昭和49年 警察白書』(レポート)、1974年。
  • 「10月20日午前4時ごろ、東京、横浜、京都、大阪の各地で革マル派約200人がいっせいに中核派のアジト12箇所を鉄パイプ、竹ざお、木槌、ガスバーナー等で襲撃し、双方合わせて13人が負傷した。」(警察庁 1974) 警察庁『昭和49年 警察白書』(レポート)、1974年。
  • 「世田谷区のアパート「ふく荘」前で引っ越し作業中、中核派と思われる数人に鉄パイプ等で殴打され同日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「(神奈川)横浜国大経済学部食堂内で、中核派と思われる数人に鉄パイプ等で殴打され同日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「(沖縄)教室受講中乱入してきた中核派と思われる数人に人違いされ、鉄パイプ等で殴打され同日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「中核派数十人と法大から出たところを待ち伏せ中の革マル派に襲撃され、鉄パイプ等で殴打され翌日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「アパート自室で就寝中、乱入してきた数人に鉄パイプ等で殴打され翌日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「守口市中央観光バス前で、革マル派数人に鉄パイプで殴打され、入院中2週間後に死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「品川公会堂付近を歩行中、後方から追いかけてきた中核派数人に鉄パイプで殴打、同日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「代々木駅付近を歩行中、後方から革マル派数人に鉄パイプで殴打され、同日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「西区のアパート自室で就寝中、乱入してきた中核派数人に鉄パイプ、ハンマー等で殴打され、同日死亡した。」(警察庁 1975) 警察庁『昭和50年 警察白書』(レポート)、1975年。
  • 「被害者ほか2人が荷物発送作業中、車2台で追尾してきた中核派数人に鉄パイプで殴打され、同日1人が死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「アパート自宅で就寝中、鉄パイプ、まさかり等を持って室内に乱入してきた革マル派十数人に頭部等を殴打され、即死した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「マンション2階の自室で就寝中、鉄のはしごを利用して室内に侵入してきた中核派数人に鉄パイプ、バール、スコップ等で殴打され、1人が即死、1人は翌々日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「被害者が川崎市役所裏出入口から外に出てきたところ、鉄パイプを所持して待ち構えていた中核派3人に頭部等を殴打され、同日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「被害者が喫茶店内で飲食中、店内に乱入してきた中核派7,8人に鉄パイプで頭部等を殴打され、1人が同日、1人が翌日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「被害者を含む4人がアパートで就寝中、室内に乱入してきた中核派数人に頭部等を殴打され、1人が同日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「被害者を含む岡山大ノンセクト約60人が、岡山大オルグのためマイクロバスで乗り込んできたマル青同約30人と対じ中、マル青同が、マイクロバスを突込んできたためれき死した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「革マル派30数人が大阪市立大教養部内に入り、芝生でたむろしていたところ、中核派約40人に鉄パイプ等で襲撃され、2人が同日、1人は翌日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「路上を通行中、中核派3人に襲われて、鉄パイプで頭部等を殴打され、翌日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • 「被害者を含む反帝学評系10数人が、歌手加藤登紀子の別荘に就寝中、室内に乱入してきた革マル派(人数不詳)に鉄パイプで頭部等を殴打され、1人が同日死亡した。」(警察庁 1976) 警察庁『昭和51年 警察白書』(レポート)、1976年。 表7-2 昭和50年の内ゲバによる死亡事案
  • [「浦和市内ゲバ殺人事件」(4月)は、革労協が革マル派の自動車を前後からはさみ打ちにして停車させた上、金網付の窓ガラスをつるはし、鉄パイプ等で破壊して車内にガソリンをまき、発煙筒を投げ込んで炎上させ、乗車していた4人全員を焼殺するという極めて凶悪、残忍な事件であった。」(『昭和53年 警察白書』)
  • 警察庁 1988 図1-3 内ゲバ事件の発生状況(昭和53~62年) 警察庁『昭和63年 警察白書』(レポート)、1988年。
  • 「54年の内ゲバ事件も、中核派による「津市内内ゲバ殺人事件」(5月、三重)や革マル派による東京、神奈川の革労協アジト3箇所に対する同時内ゲバ事件(11月)にみられるように、多くは事前の綿密な調査活動を踏まえて、巧妙な攻撃を加えるという極めて計画的な犯行であった。」(『昭和55年 警察白書』)
  • 「革労協による「東成区路上内ゲバ事件」(9月、大阪)では、盗難車両を使って相手車両を前後からはさみ撃ちにして停車させた上、鉄パイプの先端に出刃包丁を取り付けた凶器で攻撃したことなどにみられるように、計画的で極めて凶悪、残忍なものであった。」(『昭和56年 警察白書』)
  • 「55年10月30日白昼、南千束の路上において、東京工業大生ら5人が、待ち伏せしていたスキー帽やヘルメット着用の集団にハンマーや鉄パイプ等で乱打され、頭蓋骨骨折等により5人全員即死した。この事件では、あらかじめ現場付近の電話線が切断され、逃走用等に盗難車2台が使われた。事件について、中核派は、「我が革命軍は…カクマルジャックの集団を捕捉し…壊滅的打撃を与えた」などと犯行を自認した(東京)。」(警察庁 1988) 警察庁『昭和63年 警察白書』(レポート)、1988年。
  • 「革労協による「7.11渋谷区本町内ゲバ殺人事件」にみられるように、綿密、周到な事前調査の後、被害者が居住するアパート付近の電話線を切断の上、被害者の居室のドアや窓を破壊して侵入し、就寝中の被害者の頭部、顔面等を鉄パイプで乱打して殺害するといった凶悪、残忍なものであった。」『昭和57年 警察白書
  • 「革労協による「2.24荒川区南千住内ゲバ殺人事件」は、事前に調査した上、付近の電話線を切断した後、ドアを破壊して侵入し、就寝中の被害者の頭部を鉄パイプ様の物で乱打して殺害するといった凶悪、残忍なものであった。」『昭和58年 警察白書
  • 「61年1月20日白昼、京都大学教養部構内において、中核派の全学連副委員長代行が、待ち伏せしていた集団に鉄パイプ様のもので頭部を乱打され、脳ざ傷等により死亡した。革マル派は、「中核派『軍団』の敵対を完全に粉砕した」などと犯行を自認した(京都)。」(警察庁 1988) 警察庁『昭和63年 警察白書』(レポート)、1988年。
  • 「9月1日未明、埼玉、大阪、兵庫の3府県6箇所において、真国労幹部等がヘルメット、鉄パイプ等で武装した数人の男に襲撃され、真国労大阪地本書記長が死亡したほか、8人が重軽傷を負った。事件は、あらかじめ電話線を切断して窓等から被害者宅に侵入し、被害者に手錠をかけた上で、凶器で乱打するなどの残忍なものであったが、「国鉄分割・民営化絶対阻止」を叫ぶ中核派は、機関紙で「9月1日、…反革命カクマル分子を…徹底せん滅した」などと犯行を自認している。」(『昭和62年 警察白書』)
  • 「62年10月30日朝、JR東日本赤羽駅構内において、出勤途上のJR東日本の職員が、マスク、帽子等を着用した集団にハンマーや鉄パイプ等で乱打され、頭蓋骨や両足を骨折するなどの重傷を負った。この事件は、人通りの多い出勤時間帯の駅通路で待ち伏せた上での大胆な犯行で、最初から頭部を重点に攻撃し、背広姿等の目立たない服装で人込みに紛れて逃走するという極めて計画的なものであった。革労協狭間派は、「反革命革マル…を徹底せん滅し、再起不可能状態を強制した…」などと犯行を自認した(東京)。(警察庁 1988) 警察庁『昭和63年 警察白書』(レポート)、1988年。
  • 「中核派は、平成元年2月8日に「東鉄労水戸地本組織部長殺害事件」を、革労協狭間派は、6月25日に「革労協狭間派元最高幹部殺害事件」、12月2日に「JR総連総務部長殺害事件」をそれぞれ引き起こした。これらの事件は、被害者を路上で待ち伏せしたり、就寝中を襲撃したもので、いずれもハンマー、バール等の武器を用いて多数で全身を殴打するという残忍な殺人事件であった。」『平成2年 警察白書
  • 「革労協狭間派は、闘争方針や戦術をめぐり、ここ数年来内部抗争を続けていたが、6月25日未明、埼玉県川口市内において、主流派の路線に反対する元最高幹部(43)の居宅を多数で襲撃し、ら致した上、撲殺し、茨城県下の路上に放置するという極めて悪質な内ゲバ事件を引き起こした(埼玉、茨城)。」『平成2年 警察白書
  • 「革労協狭間派は、8年(略)5月14日、神奈川県内の私立大学キャンパス周辺において、革マル派系全学連学生等に対する内ゲバ事件を引き起こし、1人を死亡させた。」(『平成9年 警察白書』)
  • 「革労協狭間派は、5月に狭間嘉明を中心とするグループ(以下「主流派」という。)と山田茂樹を中心とするグループ(以下「反主流派」という。)に分裂した。両派は,その後,双方が切り崩しや引き戻しをねらった主導権争いを展開する中で、11年中、5件の内ゲバ事件を引き起こし,活動家3人が死亡,1人が重傷を負った。12年に入っても,両派は機関紙等で攻撃主張を強め,12年2月には3件の内ゲバ事件を相次いで引き起こし、活動家2人が死亡、2人が負傷した。」(『平成12年 警察白書』)
  • 「5月、千葉県内において,主流派幹部活動家が反主流派非公然活動家とみられる数人の者に襲撃され死亡する事件が発生した。」(『平成14年 警察白書』)
  • 「16年6月2日早朝、東京都内の路上で革労協反主流派活動家3人が4、5人の男に鉄棒等で襲撃され2人が死亡、1人が軽傷を負うという内ゲバ容疑事件が発生した。」(『平成16年 警察白書』)
  • 警察白書

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