こうした認識は明治時代に遡ることができ、明治36年10月に文芸雑誌『帝国文学』第9巻第10号に掲載された桜井天壇によるハイネ批評から、当時ハイネはセンチメンタルな恋愛詩人として人気があったことが分かる(伊東勉 1972, p. 17)。ハイネは、他方では革命の詩人である。萩原朔太郎によると、多くの詩人は「恋愛詩」と「叙事詩」という二面性を同一線上に兼ね備え、ハイネは「プラトニックに恋愛を歌いつつ、革命に熱した人生の戦士」であり「一方で恋をしながら一方で義人の如く戦っていた」(萩原朔太郎『詩の原理』より)。また、ハイネは読者の親友である。ハイネ翻訳者井上正蔵によると、デンマークの文学者ブランデスは「ハイネは、自分の読者を親友にしてしまう特性をもっている」という主旨のことを語っている(井上正蔵訳『ハイネ詩集』巻末解説文より)。
こうした認識は明治時代に遡ることができ、明治36年10月に文芸雑誌『帝国文学』第9巻第10号に掲載された桜井天壇によるハイネ批評から、当時ハイネはセンチメンタルな恋愛詩人として人気があったことが分かる(伊東勉 1972, p. 17)。ハイネは、他方では革命の詩人である。萩原朔太郎によると、多くの詩人は「恋愛詩」と「叙事詩」という二面性を同一線上に兼ね備え、ハイネは「プラトニックに恋愛を歌いつつ、革命に熱した人生の戦士」であり「一方で恋をしながら一方で義人の如く戦っていた」(萩原朔太郎『詩の原理』より)。また、ハイネは読者の親友である。ハイネ翻訳者井上正蔵によると、デンマークの文学者ブランデスは「ハイネは、自分の読者を親友にしてしまう特性をもっている」という主旨のことを語っている(井上正蔵訳『ハイネ詩集』巻末解説文より)。