横浜正金銀行 (Japanese Wikipedia)

Analysis of information sources in references of the Wikipedia article "横浜正金銀行" in Japanese language version.

refsWebsite
Global rank Japanese rank
154th place
11th place
9th place
8th place
2nd place
6th place
5th place
19th place
304th place
20th place
low place
low place
1,109th place
97th place
178th place
12th place
low place
5,173rd place

doi.org

  • 加太宏邦「注釈『ふらんす物語』:遊歩者荷風のリヨン」『法政大学多摩論集』第20巻、法政大学多摩論集編集委員会、2004年3月、199-271頁、doi:10.15002/00003148ISSN 09112030NAID 120000994070 

kanagawa-museum.jp

ch.kanagawa-museum.jp

kotobank.jp

mofa.go.jp

ndl.go.jp

dl.ndl.go.jp

iss.ndl.go.jp

kokkai.ndl.go.jp

  • 第33回国会 外務委員会 第20号 昭和34年12月17日(1959年)
    「まず特別円という問題につきましては、戦時中当時の旧仏領インドシナを占領中の日本軍が、その軍の軍費を調達」「いたしまするために、日仏政府間で協定をいたしました。また旧正金銀行とインドシナ銀行との間に、これに基いて金融協定というものを締結いたしました。」「その結果、終戦の当時に」━━よくここのところを聞いておいていただきたいんです━━「その結果、終戦の当時にわが方の債務として残りましたものは、米ドル勘定で四十七万九千六百五十一ドル十九セントでございます。また特別円勘定といたしまして残りましたものが、十三億千五百二十七万五千八百十八円三銭、かくのごとく相なっております。」「米ドル勘定の債務の決済残り、特別円の債務の決済残り、これらはいろいろと勘考いたしまして、あらためてフランス側との間の話し合いによりまして、三十二年の三月二十七日に円貨十五億円とドル貨四十八万ドルをもってこれの決済をいたしたわけでございますから、」「戦時中、」━━ここも重要だと思う━━「戦時中、戦争以前からのいわゆる仏印の特別円問題というものは全部片がついた、こういうことに相なるわけでございます。それから三十三トンの金の価格がどうであるか、これの見合いのものは何の決済であったかというお尋ねがございましたが、」「これは、」「戦争前からの協定によりまして、こういう軍のピアストル貨の調達については、金で支払うという条項に基きまして、一九四一年の十一月六日以来、」「約十回にわたりまして軍費の調達」「それから」「ゴムの輸入代金」「そのほかに、昭和十七年末に、一般勘定と称するものがございまして、その残高も金で決済しなければならなかったわけであります。これらを合計いたしますると、」「三十三トンに相なるわけでございます。」と、こういう答弁なんでございます。これは日仏特別円決済に関する政府のわざわざ閣議を開いて統一した見解であります。」

nii.ac.jp

ci.nii.ac.jp

  • 加太宏邦「注釈『ふらんす物語』:遊歩者荷風のリヨン」『法政大学多摩論集』第20巻、法政大学多摩論集編集委員会、2004年3月、199-271頁、doi:10.15002/00003148ISSN 09112030NAID 120000994070 

r8uu.com

  • 蕭一平、郭徳宏等、1993年。「中国抗日戦争全史」、第87章・日本的殖民経済掠奪与殖民文化。

worldcat.org

search.worldcat.org

  • 加太宏邦「注釈『ふらんす物語』:遊歩者荷風のリヨン」『法政大学多摩論集』第20巻、法政大学多摩論集編集委員会、2004年3月、199-271頁、doi:10.15002/00003148ISSN 09112030NAID 120000994070 

youtube.com