解離性同一性障害 (Japanese Wikipedia)

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apa.org

psycnet.apa.org

astraeasweb.net

  • ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。 ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。
    確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。 それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。 それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎2009 p.147 )
    「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てがラディカル・フェミニズムだったわけではない。 イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多くいたということもある。 キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。
    さらに複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在のISS-D )自体を二分していった。 DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。 1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング1995 p.144 )。 なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」である。
    当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが(イアン・ハッキング1995 pp.154 - 156 )、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる。 先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。 FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『失われた私(シビル )』についても全面否定している。 もっともシビルはDIDではないと言い出したのはDIDの専門家スピーゲルであり、1995年にボルフ-ヤコブセン (Borch-Jacobsen,M.) のインタビュー )の中で話したことなので、DID治療者対FMSFという単純な構図ではないのだが。

dsm5.org

  • DSMは現在のDSM-IV-R からの改訂作業中であるが、DSM-5試案ではPTSD関連を「不安障害」から独立させて、「解離性障害」とも別の「外傷とストレッサー関連障害」という分類を新設する方向で検討されている。
  • 現在の改訂案(Updated April-30-12: 2012年6月17日確認)でもっとも大きい点は B.の「(人格の )少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する」という項目がなくなり、その内容が A.に含まれていること。C.の「重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」に該当する部分を含め、文言が大幅に変更されていること。 および「社会的・職業的機能、または他の重要な領域で、臨床的に著しい苦痛または障害の原因になる」という他の障害に一般的に付けられている条件が加わっていることである。 DSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長であったスピーゲルらが2011年に提案した「DISSOCIATIVE DISORDERS IN DSM-5」によると、DIDについての議論の焦点は特定不能の解離性障害との間の仕分けである。

fmsfonline.org

  • ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。 ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。
    確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。 それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。 それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎2009 p.147 )
    「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てがラディカル・フェミニズムだったわけではない。 イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多くいたということもある。 キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。
    さらに複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在のISS-D )自体を二分していった。 DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。 1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング1995 p.144 )。 なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」である。
    当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが(イアン・ハッキング1995 pp.154 - 156 )、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる。 先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。 FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『失われた私(シビル )』についても全面否定している。 もっともシビルはDIDではないと言い出したのはDIDの専門家スピーゲルであり、1995年にボルフ-ヤコブセン (Borch-Jacobsen,M.) のインタビュー )の中で話したことなので、DID治療者対FMSFという単純な構図ではないのだが。

francywang.com

  • 除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing )がある。 これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2 - 3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス )、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。
    しかし日本トラウマティック・ストレス学会によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002. では「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。 デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。
    2001年厚生労働省 災害時地域精神保健医療活動ガイドラインにもこうある。 「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。 …その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。 心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。 現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」

illinoisfms.org

  • バルガス夫人は産後うつ症状でブラウン (Braun,B.G.) の勤める病院を訪れたが、DIDと診断されて子供二人まで半強制的に入院させられたという。 ブラウン (Braun,B.G.) はバルガス夫人に300もの別人格を「発見」したうえ、夫人が悪魔的儀式虐待を「思い出す」のを助長した(イアン・ハッキング1995 p.155 )。 さらに刑事訴追もされ、ブラウン (Braun,B.G.) は医師免許の2年間停止、アメリカ精神医学会、イリノイ州精神科医協会からの除名処分となっている(The BENNETT BRAUN STORY ( Illinois-Wisconsin FMS Society )。 ブラウンと同様に告訴された事例は榎本博明2009 pp.34 - 36 や、岡野憲一郎2007 p.35 にも複数あげられている。

isst-d.org

  • 精神科医で国際多重人格および解離研究学会(ISSMP&D:現在の国際トラウマ解離研究学会の前身 )の設立メンバーであり、一時期は会長でもあったブラウン (Braun,B.G.) までもが含まれていた。 ブラウン (Braun,B.G.) は1988年の「新たな臨床症候群-幼児期に悪魔崇拝者集団から儀式的虐待をうけたと訴える患者たち」という論文の共著者であり、そこで「悪魔的儀式虐待は真実であるというのが我々の見解である」とし、DIDを患う者の1/4までが悪魔的儀式虐待の犠牲者である可能性があるとしていた(ローレンス・ライト1994 pp.105 - 106 )。 アリソンがDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争のひとつに「悪魔的儀式虐待論争」をあげているぐらいだから悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じていたDIDの治療者はブラウン (Braun,B.G.) 以外にも多数いたことになる。
  • 現在の国際トラウマ解離研究学会の前身
  • ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。 ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。
    確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。 それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。 それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎2009 p.147 )
    「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てがラディカル・フェミニズムだったわけではない。 イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多くいたということもある。 キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。
    さらに複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在のISS-D )自体を二分していった。 DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。 1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング1995 p.144 )。 なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」である。
    当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが(イアン・ハッキング1995 pp.154 - 156 )、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる。 先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。 FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『失われた私(シビル )』についても全面否定している。 もっともシビルはDIDではないと言い出したのはDIDの専門家スピーゲルであり、1995年にボルフ-ヤコブセン (Borch-Jacobsen,M.) のインタビュー )の中で話したことなので、DID治療者対FMSFという単純な構図ではないのだが。

jstss.org

  • 除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing )がある。 これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2 - 3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス )、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。
    しかし日本トラウマティック・ストレス学会によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002. では「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。 デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。
    2001年厚生労働省 災害時地域精神保健医療活動ガイドラインにもこうある。 「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。 …その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。 心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。 現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」
  • 杉山登志郎2008年)「性的虐待のトラウマの特徴」『トラウマティック・ストレス』第6巻第1号参照

latimes.com

articles.latimes.com

  • 自分を性的虐待していた父親が自分の友達もレイプした後に殺した記憶が蘇ったとして父親を告発した事件である。 検察側証人となったレノア・テアが『記憶を消す子供たち』でその事件を書いた後の1997年に、父親は上告によって無罪となり、逆にレノア・テアは訴えられることになった。(AP通信 )。

ncnp.go.jp

  • 除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing )がある。 これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2 - 3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス )、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。
    しかし日本トラウマティック・ストレス学会によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002. では「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。 デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。
    2001年厚生労働省 災害時地域精神保健医療活動ガイドラインにもこうある。 「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。 …その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。 心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。 現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」

nih.gov

ncbi.nlm.nih.gov

pep-web.org

thedailybeast.com

  • なお『失われた私(シビル )』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー (Wilburn,C.B.) の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、ここは事実ではない。 シビルは本名をShirley Arbell Mason という。 結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバー (Wilburn,C.B.) の家の近くで暮らし1998年に亡くなった。 ウィルバー (Wilburn,C.B.) はシビルの支えになり、1992年に亡くなったときには遺産の一部をシビルに残している(鈴木茂2003 p.83 その情報源は「Unmasking Sybil」In Nwesweek Magazine Jan 24, 1999 である )。
  • Unmasking Sybil」In Nwesweek Magazine Jan 24, 1999

wikipedia.org

en.wikipedia.org

  • ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。 ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。
    確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。 それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。 それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎2009 p.147 )
    「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てがラディカル・フェミニズムだったわけではない。 イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多くいたということもある。 キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。
    さらに複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在のISS-D )自体を二分していった。 DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。 1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング1995 p.144 )。 なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」である。
    当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが(イアン・ハッキング1995 pp.154 - 156 )、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる。 先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。 FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『失われた私(シビル )』についても全面否定している。 もっともシビルはDIDではないと言い出したのはDIDの専門家スピーゲルであり、1995年にボルフ-ヤコブセン (Borch-Jacobsen,M.) のインタビュー )の中で話したことなので、DID治療者対FMSFという単純な構図ではないのだが。

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