1965年4月から関西テレビへ勤務していたが、結婚を機に1968年3月31日付で退職。退職後は放送業界から離れていたが、居住地の大阪府箕面市内で1995年10月1日に開局したみのおエフエム(大阪府内で最初のコミュニティFM局)で同日に開局の第一声を発したことを皮切りに、結婚後の本名である「植田洋子」名義でアナウンサーとしての活動を再開した。同局では『植田洋子とTea For Two』などの自社制作番組でパーソナリティを務めていて、関が箕面市文化芸能劇場オープン記念コンサート(前述)の告知を兼ねて別の番組へ出演した際に局内で偶然再会したことから、「昭和世代(植田)・平成世代(関)・令和世代(舘山)の女性アナウンサーによる鼎談」が当番組の最終回で実現した。