エラはユダヤ系で、ニコラエフスクの漁業交易事業家、リューリ家の一員だった。エラの祖父はリトアニアの生まれで、ポーランド蜂起に加わって25年間のサハリン徒刑となり、その後ニコラエフスクに移民させられた。文化人類学者のブロニスワフ・ピウスツキ、ポーランド共和国初代国家元首のユゼフ・ピウスツキ兄弟と深い関係があったという。エラの父、メイエルは、弟とともにリューリ兄弟商会を設立し、日本人島田元太郎が経営する島田商会と協力して、ニコラエフスク経済界の中心的存在になっていた。エラとその両親は、尼港事件当時日本にいて惨禍をまぬがれたが、叔父、叔母をはじめ、親族、知人の多くが虐殺された。事件直後、メイエルは船をチャーターし、日本海軍の許可を得て、妻とともにニコラエフスクへ乗り込んで、生存者を救助した。その中には、かろうじて生きのびたエラの祖母と、両親と日本人の乳母を失った幼いいとこたちがいた。(参照『ニコラエフスクの破壊』の米訳者前文。沢田和彦著『白系ロシア人と日本文化』成文社、2007年)UNIVERSITY OF HAWAII ATMANOA LIBRARY Russian Collections